2020年度 第10回「ものづくり文化展」最優秀賞 小山篤 インタビュー
インタビュー:中村一、深沢慶太|構成:深沢慶太|撮影:菅原康太
小山篤(こやま・あつし)
現代美術家。1978年、東京都生まれ。2002年に多摩美術大学絵画科油画専攻卒業後、08年に東京理科大学理学部第二部数学科卒業。油絵を最終的な表現手法としながら制作中のプロセスに重点を置き、自作の描画補助マシンを開発・導入するなど、美術と科学の境界線を探求する独自のアプローチで作品を発表。トーキョーワンダーサイト、マキイマサルファインアーツ、Frantic Galleryなどで個展を開催するほか、国内外のグループ展やアートフェアにも出展多数。
最優秀賞『Parity Violation 2』
「対称性の破れ」をテーマに、機械と人体を掛け合わせた絵画表現における試行錯誤の過程を提示した作品。数学的な図形の描画が難しい油彩絵画の表現的課題を解決するべく、アーム先端にケガキ針を備えた自作の描画マシン「NCドロー」を制作して、キャンバス上にジェットエンジンの動作サイクルを線刻。マシンの描画プログラムや制御画面、スマートフォン用アプリも独自に開発し、身体性と自動性が混在する表現の可能性や課題について探求を行った。
絵画、描画マシン、制御画面……制作の過程自体を作品化
――― これまでの応募作の中でも飛び抜けて思想性を感じさせる作品で、感動しました。過去の受賞作と大きくかけ離れた作品ではありますが、ものづくり文化の今後の発展のためには、技術や実用性を超えて人の心を動かす要素が必要だと考えています。その観点から、最優秀賞に選出しました。
ありがとうございます。現代アートの世界で活動する際にはこの絵画だけが"作品"と見なされますが、今回の応募にあたっては、絵画制作のために組み上げたマシンの機構やプログラムなどをひとまとめにして提出しました。というのも、自分の中では最終的な絵画の表現より、それが完成に至るプロセスの方に興味があるからです。これらは具体的には、以下の5つの要素で構成されます。一つ目が作品としての絵画。次にハードウェアである描画補助マシン。ソフトウェアは3つに分けて、制御画面のインターフェイスと描画プログラム、最後にスマートフォン用の描画アプリケーションです。なお、絵画以外の要素をオープンにするのは、自分としても初めての試みとなりました。
受賞作と同様の手法による制作の様子と、表現コンセプトについてのインタビュー動画。
――― 絵画制作のために作られたマシンやプログラム、インターフェイスもまた、作品の重要な一部であり、表現でもあると考えているわけですね。
はい。現代アートの文脈においては、機構やプログラムは単なる"道具"として扱わざるを得ないのが実状です。でもこの絵画作品は、マシンがキャンバスの下塗りの層にケガキ針で溝を掘った段階、それに重ねて僕が線を描いた段階、それを見てまた手を動かす段階など、無数の調整や判断の連続なくしては生まれ得なかった。では何故、描画マシンを開発したかというと、数学的な図形を油彩で表現するという、不可能に近い課題を解決するため。最初は集積材を使った簡単なCNCを1年かけて作り、その後1年かけて今回のマシンを制作、加えて描画用の調整に1年、合計で約3年程かかった計算になりますね。マシンの名前は「numerical control drawing」、略して「NCドロー」と呼んでいます。
――― 多面的な知識や技術に加え、哲学的な思想に裏打ちされた、類を見ない作品です。おそらくご自身の経歴や経験が、大きく反映されているのではないでしょうか。
そうですね。ものづくり歴の発端は、中学生の頃に電子工作キットを組み立てたり改造したりし始めたこと。PC-88を手に入れて、ベーシックやアセンブラでプログラムを書いていましたね。多摩美術大学へ進学してからも機械いじりは趣味で続けていたのですが、プログラムや数学への関心を捨てきれず、卒業後に働きながら東京理科大学理学部の数学科へ通いました。その結果、自分の興味対象である美術と数学、機械いじりのすべてを統合する方法が見えてきて、アート作品の制作を再開し、現在に至ります。
「対称性の破れ」を糸口に、人間と機械の関係を描く
――― 作品名である「対称性の破れ」は物理学用語ですが、どのようなコンセプトに基づく命名ですか。
さまざまな意図を込めていますが、一つは僕自身の生き方に関連しています。僕の人生において工学系の道と芸術家の道は、どちらも同じ重さを持つ関係でした。にもかかわらず、どちらか一方を選ぶ必要に迫られて、アートの道を決断した。その選択を念頭に置いて日々を送る中で、「対称性の破れ」というフレーズが目に留まりました。これは素粒子論において、誰が見ても一定のはずの時空と空間の対称性が保たれなくなることを指す言葉ですが、ふと「この表現は僕自身の頭の中の対称性にも当てはまるかもしれない」と感じたのです。
――― それまでの科学は観測者の存在にかかわらず普遍的な法則に基づいた世界を前提としてきましたが、そうではなく、"見る(観測する)"行為が世界に影響を及ぼしているという、物理学的に極めて大きな発見をはらんだ言葉ですね。ものづくりに例えるなら、そこに込められた人の視点や想いこそが結果を導くという視点につながるかもしれません。
それこそまさに、この作品を制作しながら考えていたことです。例えば線を1本引くにしても、「どちらから描くのか」「太さや色はどうするのか」など、あらゆる行動や判断に「対称性の破れ」が付きまとう。今回描いたジェットエンジンのブレードにしても、機械の構造上は右回りと左回りのどちらでも問題はない。それが設計段階でどちら回りに統一するかが決められて、以後はそれが主流化していく。機能だけでなく人間の意図や判断が、物事のあり方に大きな影響を与えているということですね。人間は見ること、意識することによって現実に影響を及ぼしている。つまりこの絵画も、そうした行為の産物だといえるわけです。
過去の作品より、『Undefined 7』 (2014年)
――― これまで一貫して、人体と機械を重ねて描いてきた理由にもつながる話ですね。
純粋に、機械のことを考えたり描いたりするのが楽しいんです。美術の勉強をした時に、人間の体もまた筋肉や血管、臓器など、機械と同じくいろいろなパーツで構成されていることに気付かされました。一方で現代では、眼鏡をかけたり、車を運転したりするのが当たり前のように、機械は人間の力の延長として欠かせない存在になっている。体の働きを機械へ置き換えるその関係性を、筋肉のパーツや機械部品を描き込むことで表現しようとしています。
"人の手 ✕ 機械"の試行錯誤が生んだ、大いなる気付き
――― 極めてコンセプチュアルで現代アート的な作品ですが、それを「ものづくり文化展」に応募しようと考えたのは何故でしょうか。
描画マシンの機構もプログラムもそこまで高度なものではないので、まさか絵のコンセプトを評価していただけるとは思っていませんでした。ただ、機械の使い方の部分を見てくれるかな、という淡い期待はありました。というのも、マシン自体は基本的に昔ながらのXYプロッタを縦型に組んだだけで、真似しようと思えば幾らでも真似できるはず。でも、絵を描きたいがためにわざわざこれを作る人はいないんじゃないかと(笑)。
作品の制作風景より。自作の描画マシン「NCドロー」をキャンバスに取り付け、ケガキ針で線を刻んでいく。
――― この描画マシンは下絵となる線を引くためのものですが、そうではなくアームの先に筆を付けて直接描画したり、コンピュータで描いた線をキャンバスへ出力するなどの方法も考えられたのでは?
油絵の画材や表現上、手でここまで正確な直線や曲線を描くことはほぼ不可能です。その上でマシンの先に筆を付けて描くとすると、絵の具の状態や圧力など、極めて複雑で精緻なコントロールが必要になる。そこで、マシンがケガいた跡を手で描いていく方法を採用しました。もちろん、線をキャンバス上へ印刷することも可能ですが、その場で調整したくてもすぐ対応できない問題がある。そうではなく描いている最中に「ここに線を引きたい」と思った通りの線を描けるようにと考え、スマートフォンからも制御可能な仕組みを導入しました。
ただそこで直面したのは、自動化すればする程、絵画としての表現性が揺らいでいくこと。自分の手でやることと機械にやらせることを明確に分けて考えないと、何のために描いているのかわからなくなるという危機感を覚えたのも事実です。
――― テクノロジーとアートが融合していく流れの中で、必ず問題になる話ですね。こうした作品をアートとしてどう評価するか、見る側にも意識の進化が求められているのかもしれません。
アーティストとしては科学や技術を理解した上で、表現としてどう昇華するかが大切だと考えています。要は技術の"巧みさ"ではなくて、"何を表現したいか"。今はマシン作りに必要な情報やデバイスも簡単に手に入れることができますから、これまでにも増して"何を作るか"が問われているように思います。
作品の制作風景より。人体の表現や描画マシンが刻んだ線などを油彩の技法で丹念に描き込んでいく。
――― 今回の受賞をふまえて、今後はどんな作品を作っていきたいと考えていますか。
マシン自体は、バージョンアップさせて精度を上げていきたいと思っています。この描画マシンでは直線を表す媒介変数を応用し、曲線を表示するプログラムを組み込んでいるものの、現状の対応はベジェ曲線で表すことのできる範囲に限られます。今後は、より複雑な曲線を表現できる計算式を研究していきたいですね。加えて、現時点では絵画とマシンが分かれていますが、それを一つに統合できる可能性もあると考えています。
何より、僕にとって機械いじりは生活に欠かせない時間であると同時に、プログラミングは仕事でもあり、数学的な探求の手段です。ただ、マシンによって描画の速度や正確さを得た一方で、僕自身が機械の表現の範囲にとらわれるようになってしまった。その反省から、もっと自由に手を動かして、絵の画面とやりとりしたいと思うようになりました。ですので、次は自分自身の手で試行錯誤を突き詰めてみたい。機械が好きなだけに、ついついそっちの方へ行ってしまうのですが(笑)、この作品を作り上げたことが、自分の手から生まれる表現と向き合う大きなきっかけになったと感じています。